2014年6月23日

【刑法】総論1 刑法に妥当する原則と関連判例

1  総論
  刑法は,国家が国民に対して,予防的懲戒的に犯罪に対処する法として,およそ人の生命・身体・財産に対しての制約を加えるために設けられている。
  刑法そのものの機能については,①刑罰法規の適用可能性を示唆し,一般的に刑罰の対象とされる行為やその行為によって生じた結果を抑止する機能(一般予防的機能),②刑罰法規に該当する行為をなした特定人に対して,懲罰として実際に刑を科することにより当該特定人における反省を促し,あるいはその結果として当該特定人の再犯を防止する機能(特別予防的機能)があるとされる。
  前述の通り,刑法は,自己の意思によらずにおよそ人の生命・身体・財産に対しての強制的な制約を科するという性質のものであって,かような規定を正当化するためには相当な根拠を要する。
  この点については,我が国の最高法規であるところの日本国憲法は,精神的・経済的自由を原則として保障しており,かような自由に対する制約として刑罰が位置付けられていることから,基本的人権の保障規定を置く,第三章(国民の権利及び義務)で九つの条文(第三十一条乃至第四十条)をもってその適正な実現を図らんとする理念が打ち出されていることからも明らかであろう。
  換言すれば,我が国の刑法における諸原則については,日本国憲法における刑罰法規についての諸規定を解釈し,その行使をより制限的に捉える必要(原則:自由・例外:制約という根本理念に基づくもの)があるということができるのであって,これらは明確に示されなければならない。
  刑法の諸原則については,古くから議論があるところであって,多岐に渡るため全部を叙述することは困難であり,端的に示すことはできないが,一般的に現在の日本国憲法下における刑法の運用を,裁判例ないしは判例を通してみると,大枠として,罪刑法定主義が,各論として諸々の派生原理が明らかにされている。
 
2  観念論的位置づけとしての罪刑法定主義  
  日本国憲法第三十一条では,『何人も,法律の定める手続によらなければ,その生命若しくは自由を奪われ,又はその他の刑罰を科せられない』としており,文言を素直に解釈すれば,手続が法律に定められていなければならない,という旨の規定であると読むこともできるが,いくら手続が正当化され得る根拠を有していたとしても,適用される刑罰法規そのものが正当化されないのであれば,それは,不当な自由権侵害(制約)であると評されることになるので,この点,解釈論として,実体法としての刑罰法規においてもその正当化根拠,すなわち国権の代表機関たる国会制定法たる法律という形式によって規律されない限り,国民の生命・身体・財産に対する制約は,憲法適合性に欠くということになる。(実体的デュープロセス論)
  また,憲法第七十三条六号但書や第三十九条前段を引き合いに出す場合もあるが,この両者は,各論としての派生規範であって,総論的な,いわゆる原則としての根拠は,第三十一条のみで十分であろう。(もっとも,総論としての憲法第三十一条は相当程度抽象的であって,現実的に運用されるに当たっては,派生規範ないしは下位の法源による具体化を要するのであり,以上の議論は,あくまで観念論的位置づけであるに過ぎないため,実際の議論は,後述の各論的派生規範としての法源の根拠を議論するのが有益である

3  具体的各論的派生規範
3ー1.総論
  前述の通り,罪刑法定主義そのものは,観念的かつ抽象的に定められているに過ぎず,現実的に罪刑法定主義を機能させるためには,具体化を要することとなる。
  憲法は,最高法規であるうえ,我が国においては憲法典の改正が必ずしも容易でないために,やむを得ず抽象的規範を定め置くにとどめ,柔軟に対応すること(制定改廃をすること)ができ,なおかつ制約を正当化できる,国会制定法たる法律に,具体化をさせるようにしている。この規範を『法律主義』(憲法第七十三条六号但書において,裏側【行政による刑罰法規制定の原則的禁止】から規定)という。
  また,刑罰法規は可変的であって(法律主義が,柔軟に改廃をさせることができるように,国会制定法にその能力を与える趣旨は,まさにこの刑罰法規の可変性確保にあるといえる),時的経過に伴って刑罰を科する対象およびその程度などが変化していくため,国民はどの時期において,自らにどの程度の刑が科されるかが不明確となってしまい,日常生活に著しい支障をきたすことになり,原則自由例外制約の理念が崩されてしまうことになりかねない。
  そこで,憲法は,第三十九条前段において『事後法処罰の禁止(遡及処罰の禁止)』を要求するに至ったのである。(続く)

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