2013年9月13日

【私見】自由民主党憲法改正草案について②―前文

 では、さっそく綴りたいと思います。

 現行憲法における基本原則や成立・宣言など、以降続く各条文のエッセンスとして置かれているところの前文。
 エッセンスではあるものの、この文言は法的な性質を有すると解されており(芦部・37頁)、憲法の改正についての質的な限界を定めているとしています。
 しかしながら、前文には、裁判において判断の基準とされるための効力は認められてはおらず、裁判所という国家機関へ訴えを提起する根拠や、実際に判決などが出たときの拘束力を認めうる根拠にはならない、という風にいわれており、中途半端な位置にあります。
 前文を読んで理解することは、現行憲法の理想とする「日本国」の在り方を俯瞰することにつながるということもいえるので、ここでは、現行憲法における前文と、自民党提示の「日本国憲法改正草案」のそれをそれぞれみていきたいと思います。

1.現行憲法における前文
 まずは、全文を確認してみましょう。
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 ということで、 1946年に公布されたものであるが故か、文語体による表現が用いられており、少々読みづらいですね。
 段落ごとに区切ってみたので、それぞれ上から1・2・3・4項と呼称することにします。
 1項においては、①民主主義の採用,②国際協調主義の標榜,③平和主義,④国民主権の宣言をし、
2項では平和的生存権の確認(③・④の再定義)、
3項では国際協調主義についての宣明(②の確認)、
4項において1~3項の理想達成への意気込みを、それぞれ示しています。



2.「日本国憲法改正草案(改憲草案)」における前文
 では、改憲草案ではどのような記載となっているのでしょうか。

 日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。


 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。


 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。 

 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。


 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。

  さすがに現代の文ですので口語体による表記に改められていますね。
 ここでも、先の例に倣って一番上の段落から番号を振ります。
 1項では、①象徴天皇制の確認,②国民主権の明記,③三権分立制の明確な導入が、
2項では、④第二次世界大戦の反省,⑤平和主義,⑥国際貢献への意気込みが、
3項では、⑦日本国民としての基本的人権の尊重,⑧相互扶助主義が、
4項においては、⑨国家成長政策の基本理念が、
5項に憲法制定の意気込みがそれぞれ示されています。


3.批評
 一見すると、前文としては非常に完成度の高いものになっていますが、改憲草案は、憲法そのものの性質をスルーしている節が見受けられます。
 それは、改憲草案の3項についてです。
 今一度、3項をみてみると
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。 
とされており、主語が「日本国民」とされております。
 現行憲法においても、主語が「日本国民」とされている条文が存在しますが、ここでいう「日本国民」とは、その性質が異なることが分かります。
 すなわち、現行憲法における主語としての「日本国民」は、『基本的人権を享受する主体』としての地位を前提にした条文の下に使われているのですが、改憲草案における「日本国民」は、『憲法の理想とする国家を形成するための義務を課す主体』としての地位であることを前提にしているように見受けられるのです。
 なぜなら、改憲草案では、「日本国民は、......守り、......国家を形成する」という表現が用いられており、これは、日本国民が国家を形成する上で、憲法の理念に則って一定の義務(「守り」という文言より)を課することを企図しているので、ニュアンスが現行憲法上の「日本国民」とは異なってしまっているのです。
 では、主語としての性質が異なることの何が問題となるのでしょうか、その答えを知るためのキーワードは「立憲的意味の憲法」です。
 「立憲的意味の憲法」とは、近代市民社会の成立を語る上で最も重要といわれている、「国家権力の抑制を条文化して、国家権力に遵守させることによって、国民の基本的人権を守る」という観点のことをいい、憲法を制定する上で、最も考慮されるべき概念です。
(※詳細についてはhttps://www.dropbox.com/s/yrzg1e61bbeve1x/%E6%86%B2%E6%B3%95%EF%BC%88%E7%B7%8F%E8%AB%96%EF%BC%89.pdf 2頁以下参照のこと)
 つまり、改憲草案においては、憲法の根本的な原則である「国家権力抑制」と同等のものとして、副次的であるべき「国民に対する義務」を扱っている、と解することが出来てしまうのです。
 かような意図がなかったとしても、エッセンスとして憲法を構成する前提となるべき前文において、並列的に「国民に対する義務」を規定するのは、些か問題なのではないのでしょうか。
 「立憲的意味の憲法」を最優先のものとして構成をしない限り、国家権力の恣意を介入させてしまう可能性を飛躍的に上昇させてしまうため、改憲草案の前文3項は、前文に置くべき内容ではないと思います。

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