2013年8月21日

憲法1-2.わが国における憲法適合性審査基準の変遷(「二重の基準」採用前まで)

【科目】
憲法

【概要】
憲法適合性審査基準についての検討(2)

【詳説】
2.所謂「二重の基準」論までの変遷
(1) 序論
 わが国の憲法適合性審査の変遷を辿る上で、不可欠な要素として挙げられる「二重の基準(Double Standard)」は、アメリカの判例法理であると説明されることが多いが、アメリカにおけるものと、日本の憲法学上の通説として捉えられているそれとは、異同が生じている。
 これは、法解釈自体が各国の、或いは裁判官各自の価値判断に任されており、必ずしもそれぞれの間に連関を見出すことができないためである。
 本稿においては、理解の混乱を避けるため、日本におけるそれを主に説明するにとどめ、アメリカ判例法理における議論が、わが国の裁判例に影響を与えたものに関してのみ適宜紹介することとする。
(2) 前提
 では、わが国における「二重の基準」について検討していくが、ここで注意していただきたい点として、①わが国の通説的見解を形成したといわれる芦部博士における「二重の基準」と、最高裁が拠っていると芦部博士が分析する「二重の基準」は、その適合性審査の過程において用いられる判断基準が異なること、②必ずしもわが国の最高裁がすべての場合において「二重の基準」を採用しているとはいえないこと、が挙げられるため、これらを念頭に入れるべきである。
(3) 本論―判例における「二重の基準」採用までの理解
 まず始めに、最高裁が拠っているとされる「二重の基準」について検討する。
 わが国における憲法適合性審査は、「公共の福祉」概念と密接な関係を有すると理解されており、現に「公共の福祉」を人権章典の制約上、如何なる位置づけにするかによって、判断準則を変遷させてきたといわれている。
 まず、日本国憲法成立初期(1945~1960年前後)における、最高裁の「公共の福祉」に対する理解は、外在的制約説であったと解されている。
 外在的制約説とは、人権章典に掲載されている基本権(基本的人権)については、すべて「公共の福祉」を及ぼすことができると解し、憲法に明文化されている「公共の福祉」なる文言については、人権条項の欄に記載があるが、人権の埒外にあると解するものである。
 したがって、原則―制約可能・例外―不可侵、という形で人権章典が制定されていた、と解するのである。
 この説は、明治憲法が適用されていた戦前における「法律の留保」原則と同旨の理解に基づいているとされており、国家機関による安易な人権制約を惹起させてしまう、という批判的見解が主張されていた。
 かような批判を乗り越えるべく、最高裁は、それまでの判例において理由としてきて述べてきた、外在的制約説に基づく、安易な「公共の福祉」論の適用を改め、「公共の福祉」自体、人権章典の一部を構成する原理として、その適用は自ずと基本権による制約を受ける、という内在的制約説へ変更していったといわれている。
 この点、参考となる判例として、全逓東京中郵事件(最大判昭和41.10.26 刑集20-8-901)が挙げられ、その理由において、「国民生活全体の利益の保障という見地からの制約を当然の内在的制約として内包している」と判示した。
 内在的制約説は、公共の福祉を、人権相互の矛盾・衝突を避けるための実質的衡平達成方法であると解し、かような方法は、憲法典に明記されておらずとも、法の一般的な要請から論理必然的に内在するものであるとする。
 実質的衡平を図るための規定であるが故、その具体的な達成方法は、各人権条項の保護の目的に応じて個別的に検討されることが要求され、その判断基準についての共通項としては、「必要最小限度(自由権保障規定について)」,「必要な限度(自由権保護のために設けられた社会権保障規定について)」といった、抽象的な文言が設定されるにとどまった。
 そのため、共通項たる抽象的文言の曖昧性は法的安定を欠くものであり、憲法適合性審査基準としては不相応であるという批判が加えられるようになり、またもや論理の修正が必要となった。
 そこで、最高裁は、憲法における保障につき序列を与えた上でその序列に従って、適合性審査の基準を分化させる「二重の基準」を採用した、といわれている。
 もっとも、最高裁自身が「二重の基準」による審査をする、と明言したものではないため、判例が出された後にその理由を検討するうえで学説において主張された、と理解するのが妥当であろう。
 こうして、日本における学説による判例分析の一として「二重の基準」を検討する土壌が構築されたのである。
(5)小括
 以上、戦後(すなわち、日本国憲法施行後・最高裁判所発足後)における「二重の基準」論が展開されるまでを辿ってきたが、稿内でも幾たびか、「判例は、必ずしも二重の基準に基づく適合性審査をしているとは限らない」旨を記述しているが、あくまで、「二重の基準」は、法学者が戦後の判例を総体として理解する際の便宜を図るために設定したものであり、特に裁判所が「二重の基準」を採用するということを言及したわけではない。
 したがって、最高裁判例を別の視点から再構成することも可能であり、現に、(人権章典の分野に限られるが)ドイツ判例法理的な解釈として紹介される「三段階審査基準」なるものによる分析もなされている。
 そのため、「如何なる審査基準によることが人権保護にとっての最善解となるか」ではなく、「事後的な判例評価の手段として如何なる基準であると設定すべきか、あるいはそこから帰結する基本権の最大限の保護に、より資するであろう基準は如何なるものか」という視座により、憲法適合性審査基準を理解することが、本稿を理解する一助になろうかと思われる。
 歴史としての日本国憲法学は、他の法学分野よりも時的経過がないため、精緻な分析がなされていないという現状があるのが事実であり、更なる発展には、様々な角度からの分析を要することになろう。
 よって、本稿は日本国憲法学における判例・学説評価をはじめとした、俯瞰的観測による理論分析を可能とするために利用されることが望ましいといえることを付言し、第2節の結びとする。

【まとめ】
 わが国の憲法の体系を理解するために、これまでの最高裁が採用してきたと理解されている学説を俯瞰した。
 詳細については、【詳説】を参照のこと。

0 件のコメント:

コメントを投稿